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府中市の耐震診断・構造設計に強い建築設計事務所

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株式会社なまあず本舗公式HP

府中市の江戸期の道

江戸が日本の中心になり府中市は

 江戸幕府になり、名実ともに江戸が中心になり、府中市は、5街道の1つである甲州街道の宿場町として再び脚光をあびることになります。甲州街道は参勤交代で通る大名が非常に少なく、もっぱら庶民の道として親しまれました。

初期の甲州街道

 別に江戸幕府ができたから整備されたわけでなく、戦国期から整備されていたと推定されます。江戸幕府では、江戸城陥落の際に甲府までの避難路として使用されることを想定して造成されたそうです。実際の歴史ではまったく役にたちませんでしたけど。
 当初の道筋は、現在の旧甲州街道ではなく、多摩川に近いハケ沿い、現在の大國魂神社の随神門前を通るルート(往古の甲州街道)だったそうです。慶安・寛文年間(1648〜73年)に現在の旧甲州街道のルートに変更されたようです。現在の京所道がその名残の可能性が高いです。まあ今は神社の中を突破する・・・というルートなので想像しにくいのですが。

江戸中期からの甲州街道

 地図を見る限り、その後はかなり安定した道路だったようです。明治時代の地図でもそれほど大きな変更はありませんでした。その後鉄道が通りはじめると府中も激変を始めるのですが。江戸後期以降は比較的信頼性の高い地図も揃っていますので、並べて眺めて見ると面白いと思います。

京所道

 
初期の甲州街道に書いた通り、江戸初期は、従来あった道を甲州街道として利用していました。現在の京所道付近であり、現在の大國魂神社を横切るルートだったようです。
武蔵國国衙など遺跡も多く古い歴史のある地域です。

江戸期の鎌倉街道

 江戸期になると、なぜか鎌倉街道という名前ができ、府中にも鎌倉街道という名前の道ができはじめます。明治後期の地図を見る限り、それほど大きな道ではなかったようです。府中付近から関戸を通る道も川崎街道ほど整備されていなかったようですが、中河原や分梅の集落を通り府中に抜けるルートは確立されていたようです。反対に、本来の鎌倉街道であった、北上ルートは、はっきりとした道は現存せず、後に東芝府中工場が建てられたり、府中4中が建てられたりしたことからわかるように、道としての役割は終了していたようです。

川越道・川崎街道


 
現在の府中街道(川崎街道・川越街道)は、府中付近でまったく別な道路になっていました。川崎街道は、東海道五十三次の2番目の宿場である川崎宿から、
府中を結ぶ古代からの道です。鎌倉時代にはその存在がありました。多摩川を越えるルートであり、終点は現在の旧甲州街道の高札場付近でした。江戸時代はそこで行き止まりでした。 クランクして北側に旧川越道があります。現在の旧甲州街道から北側の府中街道は、昭和になってから作られたものです。ここでの川越街道は、現在の一般的な川越街道と異なるものです。

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なまあず本舗
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〒183-0022
東京都府中市宮西町4-7-1
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運営会社
 株式会社なまあず本舗
なまあず本舗設計室の行き方
府中市役所前
府中街道と旧甲州街道の交差点(府中市役所前交差点)を西に向かいます。左側には御旅所、右側には蔵のある酒屋「中久本店」があります。
バス停より
50mほど歩くと、旧甲州街道北側に三階建ての茶色いタイルの建物が見えます。ちなみに二軒手前にも同じようなタイル張りの建物がありますが、その先の細い道路の角にある写真の建物です。
なまあず本舗本社前
事務所前は芝生になっています。また窓を覗くとセレクトショップ(なまあずショップ)になっています。設計室も入口は同じです。気にせず正面からお入りくださいませ。

関連サイト
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 なまあずショップ楽天市場店
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